8/12/2025

「長水」余話 現在の「町名」は?

 「長水」から「王子山の手」に

オシャレな名前はいつから?



 志手天神社は昔の志手村内ではなく、隣りの旧長水村の中にある。

 そんな話を、このブログ「大分『志手』散歩」の「天神社 志手村と長水村の関係は?」(2025年7月11日公開)で書いています。

 志手天神社の境内に石灯籠があり、その寄進者が隣村の長水村の人間だった。江戸時代のことです。それを不思議に思ったこのブログ「大分『志手』散歩」の筆者が、志手村と長水村のことをちょっと調べてみました。

 筆者は、志手天神社の所在地が旧長水村内であることに気が付き、そこからああだ、こうだと考えてみました。でも昔のことで史料も見つからず、筆者は袋小路に突き当たってばかりでした。

 いまは「長水」の呼び名もバス停の「長水入口」に残っているぐらいで、現在の町名は「長水」ではありません。今の町名は何でしょう。


 答えは街の中にあります。例えば防災マップに町名が書いてあります。

 「王子山の手町」。それが昔の「長水」とその周辺の今の名前です。「山の手」と聞くと何となくおしゃれな感じがします。

 東京の「山の手」を連想するからでしょうか。「下町」に対して「山の手」。庶民の街よりちょっと高級な感じがします。

 実際は背後の丘陵につながる傾斜地だから「山の手」という意味だと思います。「王子山の手」。誰がいつ頃付けたのでしょう。折角ですからそんなことも少し調べてみたいと思います。

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正式町名になったのは意外に新しい


 いつから「王子山の手町」なのか。大分市のホームページに「住居表示実施地区一覧表」があります。

 五十音順に並んでおり、「お」の欄に「王子山の手町」がありました。

 町名の「王子山の手町」の右にある「平成26(2014)年1月11日」は実施年月日です。

 何を実施したのかというと「住居表示法」に基づく町名表示です。法的な手続きを経た「正式な町名」となったのが、2014(平成26)年1月だということになります。

 これを見て、このブログ「大分『志手』散歩」の筆者は「『王子山の手』になったのは意外に新しいんだな」と思いました。

 大分市の住居表示審議会の議事録を見れば、王子山の手町の由来を知る手がかりを得られるかもしれない。そう思って大分市の担当課(市民協働推進課)に電話してみました。

 結論は審議会の議事録はないとの答えでした。議事録の保管期間は5年だそうです。「王子山の手町」が審議の対象になったのは10年以上前ですから、あらためて調べるまでもないわけです。


 「それに」と市の担当者は言います。
仮に当時の議事録があっても、誰がいつ「王子山の手」にしたのかなどは審議会の議題にならず、だから記録も残っていないのでないか、との話でした。
 

図書館でゼンリンの住宅地図を遡る


 電話1本で手掛かりを得ようなどとは安易すぎました。

 「長水」からいつ「王子山の手」に変わったのか。

 簡単に調べられるのはゼンリンの住宅地図です。大分県立図書館に行って昔の地図をチェックすることにしました。

 とりあえず2000(平成12)年のゼンリン住宅地図の大分市西部版を見てみることにしました。

 最初に2000年の地図にしたのは何の根拠もありません。さかのぼるならばその辺りからかなと漠然と思っただけです。

 2000年は「王子山の手」でした。このあとは2000年以前に発行された住宅地図を順を追って見ていきました。

 順々とさかのぼって1990(平成2)年に至りましたが、ゼンリンの住宅地図には「王子山の手」とあります。

 一気に10年飛んで1980(昭和55)年の住宅地図をみました。「王子山の手」でした。王子山の手はかなり前から使われています。

 なのになぜ、住居表示法に基づく正式な町名になったのは2014(平成26)年と遅かったのでしょう?新たな疑問が湧いてきました。

 その疑問はとりあえず置いておき、地図をさらにさかのぼってみます。すると「長水」がありました。

 1972(昭和47)年のゼンリン住宅地図は「長水」でした。そのあとの1974(昭和49)年の地図では「王子山の手町」となっています。
 
 右の資料はゼンリンの住宅地図です。左半分が1972(昭和47)年で、右半分が1974(昭和49)年です。

 左側には「長水」とあり、右側は「王子山の手町」とあります。

 つまり、1973(昭和48)年前後に「長水」は「王子山の手」に変わったと考えることができそうです。

 その頃に何があったのでしょうか?

世帯増で自治区分割 一つを三つに



 もしかしたら「大分市報」に何かヒントがあるかもしれない。ダメもとで1973(昭和48)年の市報を閲覧してみることにしました。

 大分市のホームページで昔の市報を読むことができます。

 昭和48年の市報の目次を読んでいくと7月1日号に「南王子3丁目自治区を分割」というのがありました。

 「王子山の手」と何か関係があるかもしれない。そう思って7月1日号を開いてみることにしました。

 すると大当たりでした。「王子山の手町」が出てきました。

 市報には、世帯数急増に伴い、南王子3丁目自治区を「南王子町3丁目」と「王子山の手町」「王子新町」の3自治区に分割するとあります。

 王子山の手町自治区は、旧南王子町3丁目8組の一部と9組~13組、15組~25組(長水)と範囲が定められました。

 15組から25組が長水のようです。これで誰がはともかく、いつ「王子山の手町」になったのかははっきりしたと言っていいでしょう。

 自治区分割で1973(昭和48)年7月1日に王子山の手町は生まれたと。

 そして、長く王子山の手町が正式の町名でなく、通称であったかも、この自治区分割で分かる気がします。


 王子山の手町は旧南王子町3丁目の一部と長水地区を合わせてできました。長水に長年住んできた人は当然「長水」という地名に愛着があるでしょう。

 すぐに「『王子山の手』に切り替えろ」といってもなかなか難しい。馴染むまでにじっくり時間をかけて正式な町名にした、と推理できます。

 もっとも実際はそんなややこしいことではなくて、通称であっても別に生活に支障はなかったから、そのままにしていたのかもしれません。

「王子」と「春日」が張り合うように



 このブログを書くために「王子山の手」のことを調べるうちにちょっと面白いことに気づきました。


 大分市中心部の地図を見ていると「王子」と「春日」がたくさんあることに気がつきました。それも隣り合って張り合うように。

 王子は「王子町」「王子北町」「王子中町」「王子南町」「王子西町」などがあります。

 春日は「西春日町」「東春日町」「中春日町」「南春日町」「新春日町」などがあります。

 王子は「王子神社」、春日は「春日神社」に由来するものでしょう。

 町名に「王子」「春日」を付けるのは、どちらもそれぞれの神社との何らかのつながりがあるということなのでしょう。

 このあたりも機会があったら調べてみようと思います。

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